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1999Web

1999Web

「1999」Vol.2(後半)

街灯の下のゴキブリ 
松永朋哉

 

街灯の下に
ゴキブリが歩いているのを見た
この例えは怒られるかもしれないが
何だかくたびれた
中年のサラリーマンに見えた
ゴキブリは人間に忌み嫌われ
姿を見つけられたら叩き潰される
ゴキブリだって必死に生きているのに
これではあんまりひどすぎないか

そう思いながら
私はゴキブリを叩き潰した
五千年もの昔から続いてきた
ゴキブリと人間との戦い
DNAレベルで続いてきた戦いに
いつか終止符は打たれるのだろうか








たくましい花 
松永朋哉



排水溝の中に一輪
うす紫の花
太い茎と葉っぱを広げ
銀色の格子の隙間から
優雅に日光浴

かんかん照りでも
大雨が降っても
台風が来ても
枯れることなく
腐ることなく
流されることなく
毅然と咲いている
アスファルトの中に根付いた命

いつかその根を広げ
アスファルトの大地を侵食していけ
たくましい花よ






嫉妬
内間武



淀んでいる空気を吸い
肺が光で満たされるでしょう
血管を流れる光は
体中を駆け巡り
最後には君の
脳下垂体へ
停滞する光の螺旋は
上って行く事はなく
同じ場所で回り続けている
君の頭蓋で炸裂した閃光は
絶望でもなく
希望でもなく
平凡な才能をくれと
叫んでいました







カラーズ
内間武



原色の海に飛び込んで
頭の先からつま先まで染まってみたい
すべての色が混ざり合った海は
マリアナ海溝の底が見えるほど
純粋な色をしている。









異端児
内間武



どういう人間が一番得をすると思う?
性格が良いやつとか、顔が良いやつとか
ま、あれだね。俺が思うに、要領が良いやつが一番おいしいとこ持っていくな
俺の経験上そうだ
は、何、たかが24年しか生きてないくせに、何でそんなに偉そうかって
確かにそうかも知れないね、これから考え方とかどんどん変わっていくかもしれないし。
今の自分が絶対じゃないわ、後で間違いに気づき後悔する。
と、かの有名な葛城ミサトさんもおっしゃっているし
しかしなあ、どんだけ良いやつでもいいやつっぷりを表に出せなきゃ意味ないじゃん
そういう時ものをいうのはやっぱり要領の良さなわけよ
そう思わねぇ?俺だけかい
上手いやつは多少性格悪くても得するし
下手なやつは性格良くても損するのよ
コレが24年間生きてきた俺の結論なわけ
ってか、周りに誰もいねえじゃん
さっきから独り言口走ってたのか俺
はあ、ダメだね俺
神様、どうか今度人間に生まれ変わるときは
不細工でもいいです
普通の人間にして下さい













バッテリー・ドーター
伊波泰志



電卓用の電池ひとつで始まったあなたの人生
消費量が激しくなると国家予算に響くという懸念をよそに
あんまり泣くことはなかったという
さすがにそれだけでは足りなくなると
安価の太陽電池も取り付けたという
外でやたらとはしゃぎ回るのが好きなくせに
なぜか足し算ばかりが得意になっちゃって

小学校に通う頃には単四電池に切り替えられていた
一年生の時は四本 二年生に上がると倍の八本
三年生に上がると共に単一電池に切り替えられた
それでもいよいよ半年ごとに本数が増えていくから
母親は「思い切って充電式に改造しようかしら」と溜め息ついた
もっと世界を見たいのに! あなたは猛反対したが
小学五年生に進級すると共に改造が施され
あなたは毎晩 自宅で充電しなきゃならない身になった

それから五年経ち 十年が経ち
あなたは再び乾電池の生活に憧れ始める
世間は決まった時間に充電に取り掛からなくても何とかなるらしいと気づいたのだ
今度はあなたが母親の猛反対を押し切って家を飛び出した
毎日夕方六時に家に帰り 大きなアダプターに繋がれながら夜を過ごす
飼い犬みたいな生活から遂に解放されたのだ
あなたの喜びようといったら
ほとんどの貯金が電池代に消えても顔は綻んだまま


実家を飛び出してから二年
あなたの乾電池消費量はとんでもないことになっていた
もはや正規のルートで乾電池を買うことは困難になり
あなたは会う人 会う人 道端で目が合っただけの人にも
「アルカリ頂戴、アルカリちょうだい、何デモスルカラあるかりチョウダイ」と
せがんでせがんで蹴飛ばされてもすがりつき 今日はあちら 明日はこちら
他社の電池が混ざっている状態くらい気にも留めない
液漏れしても気付かない
アルカリ頂戴、アルカリチョウダイ、
途切れ途切れのキーワードを反復し続ける中
あなたの目をにじませるものが何なのか、電動式のあなたにはわからなかった

























朝の礼儀
トーマ・ヒロコ






 まわりは有料駐車場ばかりの細い道。二〇メートルほど前に同じ会社の人が歩いている。その人の少し前を歩いているのも同じ会社の人。その距離は縮むことがなく、保たれたままだ。そこを抜けると横断歩道があり、大抵やたら長く人を待たせる赤信号が灯っている。そこで前を歩いていた人に追いつくことも、後ろを歩いていた人に追いつかれることもある。そこで挨拶だけすることもあれば、挨拶をしてそこから話ながら一緒に会社へと歩くこともあれば、全く挨拶しないこともある。挨拶だけした時と挨拶もしない時は、青信号になると、歩くのが速い人はどんどん歩いて行き、のんびり歩く人はゆっくり歩き、その間隔は広がっていくか保たれたままのどちらかで、縮むことはあまりない。そうして畑や家の建ち並ぶ道を歩いて会社に着く。これがいつもの朝、駅から会社までの徒歩一五分の道の様子だ。
 初めの頃、少し前に同じ会社の人が歩いていれば、早歩きしたり走ったりしてその人に追いついて挨拶をし、一緒に話ながら歩いた。そうやってコミュニケーションをとっていくことが大事なのではないかと思ったのだ。しかしそのうち、あることに気が付いた。会社の人は大抵、イヤホンやヘッドホンで音楽を聴きながら会社までの道を歩いている。私に挨拶された人はヘッドホンをはずし、その時この人の音楽を聴いていた時間は中断されるのだ。私が声をかけることは、音楽を聴いている邪魔になっているのではないかと考えるようになった。それからはむやみに声をかけるのは控えることにした。
 そんなある時、同期の子がポツリと言った。「朝、声かけられたくないんだよね」どきりとした。その子は私より早い電車で通勤しているため、朝会うことはない。彼女は疲れているからほっといてほしいらしい。彼女の言っていることはみんなの意見を代表しているのだと思った。
 そう、みんな疲れているのだ。入社したばかりの頃、会社の人々の笑顔の少なさに驚いた。もうちょっとみんな笑顔になってみたら? と思った。そんな私も月日が経つのに比例して疲れがたまっていく。そう笑顔ではいられないものだと実感する。こんな環境の中では、たまに見る人の笑顔がとても輝く。朝礼の最中にふと目が合った先輩の笑顔。お先に失礼します」と声をかけた私に「お疲れ様」という言葉とともに返ってくる先輩の笑顔。笑顔があれば輝けるとわかっているのに、なかなか自分で実行できないのが困りものだ。
 今の私はヘッドホンをしてテンションの高い音楽を聴きながら細い道を歩く。二〇メートル前に同じ会社の人を見つけ、その背中に向かって心の中で挨拶する。追いつこうと努力しないのは遠慮しているからではない。毎日の残業でへとへとであり、追いつこうという気力がないのだ。それに朝は眠くて仕方がない。周囲に咲いている朝顔やひまわりを見ながら、あの畑に植えられているのは何だろうとぼんやり思いながら、歩く。

「何で疲れるんだろうね。疲れなければいいのにね」と同期の子に言ってみた。
「すごいこと言い出すね」同期の子は少し笑った。
























































詩時評
1981の所感 第2回
伊波泰志




 2005年の4月から8月まで、たった4ヶ月のことなのだが、沖縄の詩壇は色々と大きな動きがあった。

 まずは『うらそえ文藝 第10号』の巻頭座談会を取り上げねばなるまい。大城立裕氏の〈政治状況にからめてのみ、文学を語ることが多くて……〉といった一連の発言のことだ。この発言については沖縄タイムス紙上で新城郁夫氏やおおしろ建氏など多くの方々が既に意見を述べており、今更私のような若輩ごときが意見を申し立てることもないと思うのだが、八十年代生れの物書き代表として、おこがましくも所感を述べてみたい。
 これは私が沖縄の文壇を覗くようになった5年前からずっと思っていたことだが、どうして〈文学〉と〈政治〉を切り離そうとするのだろうか?特に沖縄という地でこの動きが全く無意味であることは、陸上戦も復帰運動も一般常識としてしか知らない私よりも、上の年代の方々のほうが熟知しているはずである。一時は私も、沖縄文芸作品独特の〈文学〉と〈政治〉の密接な結びつきに疑問を持ったことがあったが、これは今や「私の常識不足であった」という明快な解答で一蹴してしまった。一番重要なのは〈文学〉を「……のみ」で捉えてはならないことなのだが、〈文学〉が日々の生活と密接なかかわりをもって生まれるものであるならば、沖縄の〈文学〉は〈政治〉を完全に切り離してはいけないのである。
作り手の偏った視線で見れば「沖縄はなんてややこしいところだ」とも思ってしまうのだが、沖縄で生を受けた以上は乗り越えねばならない命題である。この地はそこいらに溢れる美の感覚を我流でデコレーションするくらいでは認めてはくれない、何ともハードルの高い場所だ。だからこそ余計に創作に情熱を燃やしやすい場所なのかもしれないが。
一方、詩作品では沖国大文芸部からクロ、『1999』同人から宮城信太朗、伊波泰志が寄稿。その他、詩論では石川為丸氏の「貘賞をめぐる問題 鈴木二郎/目取真俊の論争にふれて」と八重洋一郎氏の「詩とは何か―実作経験から考える―」に注目した。石川氏の詩論は明快な文章で、山之口貘賞をめぐる問題をバッサリと斬っている。というか、貘賞をめぐって鈴木二郎氏と目取真俊氏が沖縄タイムス紙上で論争を起こしたのは2003年のことで、それ以来詩人として活動している方がこの論争を注目度の高い発表媒体で取り上げるのは、今回の石川氏の詩論が初めてではないかと思う。県内の詩人達は自己の作品の出来を気にするだけでなく、大局的な流れにも注意を払い、時には詩人から論争をけしかけるような姿勢が必要ではないか。そういった意味を含めて、八重洋一郎氏が詩論中で述べた〈私たちが私たちを批評しなければ誰も私たちを批評してくれるものはいない。病気にたとえれば、私たちが自己解剖してわが身の毒を取り出さなければ私たちは中毒し、アヘン中毒患者のごとくかんまんなひからびた死を迎える以外ないと言っておこう。〉という言葉に、深く共感した。

六月の末、山之口貘顕彰「第三回 神のバトン賞」の入選作品が琉球新報で発表された。正賞及び佳作を受賞した作品には、純粋な感性で「生」の感覚を捉えたものが多くとられたように感じた。翌月十七日、作品の掲載された面には、併せて選考委員を務めた与那覇幹夫氏と佐々木薫氏の選評が載っていたが、これを読んでひとつひっかかることがあった。そのひっかかりとは与那覇氏の選評の冒頭、〈ところで選者は、選考の途中、何度も首をかしげた〉として、応募作の大半が〈『夢』とか『将来』とか、つかみどころのない『仮定』の『大きなテーマ』〉であったことを問題点として挙げ、〈先生方にお願いしたい。身近なテーマを選ぶよう指導してほしい〉と締め括っていたのだが、ここで五月二五日付の琉球新報・朝刊に掲載されていた「神のバトン賞」の募集要項から、【資格】の文を抜粋する。
  県内在住の小中高校生で、応募は一人一編。四〇〇字詰め原稿用紙で1―2枚以内。テーマは自由だが「未来」「生きる」「夢」など未来を見つめ、明るい展望を切り開く内容で、未発表の作品。
この募集要項を読んだら、募集作品に「夢」や「将来」をテーマにした作品が集まるのも自然な流れである。小中高校で指導に当たった先生にしてみれば、「募集要項に〈夢〉や〈将来〉をテーマに、と書いてあったから、そのように詩を書かせたのに!」という気持ちだろう。
この食い違いは選考委員側と主催者側の打ち合わせ不足が原因だと思われる。このような不備が露呈してしまうと、次回以降の作品募集に支障を来たしかねない。学生にスポットを当てた賞は貴重なので、次回からはこのようなすれ違いを解消していただきたいと思う。

 次いで、「第28回 山之口貘賞」の受賞作品が大城貞俊氏の『或いは取るに足りない小さな物語』と久貝清次氏の『おかあさん』に決まった。私は残念ながらまだ『おかあさん』の方を入手できていないのだが、琉球新報に掲載された久貝氏自選の作品や別の機会で取り上げられた作品を読んでみて初めに思ったのは、今回の受賞詩集が対極的な詩集であったという事だ。大城氏の詩集は時事的なテーマに挑んだ作品であり、また久貝氏の詩集は「母」という極めて普遍的なテーマに取り組んだ作品だった。まさに対極的な位置にあると言えるのだが、この二冊の詩集はひょっとするとどちらも、「今」という時代に強く求められていたものなのかもしれない、と思った。『或いは~』は怒り・悲しみ・恐怖・希望など外へ放つ激しい感情を具現化した詩集であり、逆に『おかあさん』はずばり母性という心の内に求めるやさしい感情を表現した詩集である。現代は激しい感情が一過的なものとしてあっという間に忘れられてしまうほど、時の流れが速い。そしてまた核家族が主流となった現代は、近所同士の付き合いがなくなっていて、本来家々から溢れていたはずの母性的なやさしさを見つけづらくなった。そんな「今」に生きる私たちは、心のどこかでこの二冊の詩集の登場を待ち望んでいたのだ。そう考えると、近年の山之口貘賞は受賞作や賞の選考法などについて論争が絶えず私も疑問を感じることが多かったのだが、今回の受賞は素直に納得できた。

 最後になってしまったが、この四ヶ月の間に、『非世界』の復刊第一号と『KANA』十一号を読むことができた。『非世界』は二十年ぶりの復刊で、新たなメンバーを多数迎えての船出となったという。詩は、砂川哲雄氏、上原紀善氏、西銘郁和氏の三人がそれぞれ作品を寄せていた。砂川氏の「帰らぬ詩人へ」からは、大浜信光という詩人への率直な尊敬の念がまっすぐに伝わってきた。詩人が詩人への想いを率直に作品化する清々しさを感じた。そして『KANA』十一号は、巻頭に載った今福龍太氏の詩と、同人メンバーによる合評会が印象的だった。『KANA』は毎回、前号を肴(?)にした合評会の様子が収められているのだが、読む度にメンバーがそれぞれ気兼ねなく感想をぶつけ合っている光景が想像できて、とても羨ましく思う。私たち『1999』の環境が整っていないということではないのだが、やはり合評あってこその同人誌であり、その様子を誌面に載せられたらなお良い。今号の発行後から合評の席を設けることはできないだろうか、とは思うのだが……そうすると「じゃ伊波が合評会の幹事とテープ起こしやってね」と言われそうで、なかなか言うに言えない。ぐうたらな私は、今は時評を毎号きっちり書くことに専念する方が先決のようである。              (2005.9.20)




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